2009年10月17日 (土)

A-HA SAY GOODBYE WITH A FAREWELL TOUR 2010 って何(涙)

 11月の来日公演が決まり、先行予約でアリーナ1桁台の席を手に入れ、その日を楽しみにしていたところに解散の知らせ。天国から地獄へ突き落とされた気分になった。
 現在の活動自体“バンド休止からの再始動後”だし、それぞれソロでの活動も活発だから、いつかはまた離ればなれになるであろうことは何となく感じていたが、今年発売したニューアルバムは昔のa-haを彷彿とさせる懐かしさと熟成されたサウンドとがmixされた素晴らしい仕上がりで、タイトル曲が世界陸上や日本のテレビ番組のテーマソングに選ばれたりして、ヨーロッパや南米だけでなく(注:彼らはヨーロッパでは現在でも絶大な人気を誇る)日本でも復活の兆しを見せ始めていただけにショックだ。
 正式な会見は今後行われるのだろうが、a-haのマネージャーは、25年間に及ぶポップヒストリーを作り上げてきた彼らはこれまでの成功に大変満足しており、(ノルウェーで)トップでいられるうちに辞める決意をした、と話しているらしい(www.a-hafansiteinjapan.comより)。

 これから来年末にかけて約1年間、最後のワールドツアーを行うa-haだが、多分日本では今年で見納めになるだろう。今回JCBホールでの1公演のみというのも、a-haからの日本のファンへの最後の挨拶(のつもりでわざわざツアー日程に組み込んだ)なのだろうと思っている。 (しかしJCBホールがa-ha公演当日の25日から27日までreservedになっているのがちょっと気になる。追加公演を予定しているのかもしれない…と思うのは希望的観測かしら。でもそうだとしたらまたチケット買う!)
 願わくは、今回の来日ライブの反響の大きさに応えて、来年再来日を決めてくれないだろうか…とかすかな望みを抱いてはいるが。

 夜Macを開いたら、Yahoo!やmixiなどあちこちでニュースになっていたので驚いた。解散しかニュースにならないというのも悲しいが、「今でも活動していたの?知らんかった」という声が多いのにもがっかり。でも仕方ないか…
 Yahoo!ニュースのコメント欄をつらつらと読んでみた。「最近a-haのことを知った。もっと早く生まれたかった。今は何だか退屈かも」という書き込みが印象に残った。80年代を知っていることは幸せかもしれないと自分も時々思うことがあるのだ。

 11月25日は、会社を早退させてもらって、久々にコンタクトレンズ入れて、ライブに臨むつもり。

(10/17 17:20追記)
 どんどん決まっていくa-haの来年のツアースケジュール。日本へも来るらしいという情報がすでに流れていた。期待をふくらませてファンサイトを見てみたら、来年のサマソニに出演予定だとか。
 …真夏の屋外は勘弁して…

|

2009年10月 8日 (木)

台風

 これが台湾だと早々に政府により「台風休み」が発令されるところなのだけど、日本は台湾より広いから、どこ(の地域)からどこまでがどうのこうのと決めるのは難しいかもなー。(つーか政府によって「会社休め指令」なんてあり得ないか)

 一昨日、総務の女(←生意気)がフロアにやって来て「みなさーん、8日は台風が来ますので時間に余裕をもって出勤してくださーい。『台風なので会社休みます』という電話は一切受け付けませんからねー!」というセリフを残して去って行ったが、あの女は果たして出社できたのだろうか。這ってでも定時に出社しやがれと思う。

 まあいずれにしても私は木曜定休なので関係ないのであるが。

 ※今現在13時20分だけど、ゲリは無事に会社に辿り着いたのだろうか。→13時半頃着いたらしい。

 ※翌日、会社で周りの人に訊いてみたが、「少し早めに家を出たので普段と変わらず会社に着いた」だの「遅れてきた人はいたがそれほどでも」と言われ、何やらJR利用客のみ被害を被ったらしいことに少々がっくり。

|

2009年10月 4日 (日)

「台湾人生」

 8月に観た映画。
 日本統治時代に日本語教育を受け、戦前戦後を生きてきた台湾人5人のドキュメンタリー。ほぼ全編インタビューで構成されている。
 時代に翻弄された彼らの証言は生々しい。

 登場人物の1人、蕭錦文さんには総統府でお会いしたことがある。ボランティアで日本人旅行者向けのガイドをされているのだ。
 「あなたたち日本人は、もっと自分たちのことを誇りに思っても良いんです!」と力強く言われたことが印象に残っている。当時は「台湾人からそんなことを言われるなんて」と驚くと同時に嬉しくもなったが、間違っていた。“台湾人”なのではなく、“かつて日本人だった人”なのだ。 

 それでもインタビューの中で蕭錦文さん達は日本に対しての複雑な感情を随所に覗かせている。差別も受けた。「チャンコロ」と罵られたり、台湾人であるために成績優秀者の表彰を受けられなかった人もいた。それでも彼らはお国(日本)のために戦い、尽くしてきた。「男だったら特攻隊に志願した」と言う女性もいる。
 しかし日本は敗戦のため台湾を手放した。
 蕭錦文さんは「日本に捨てられた」と嘆く。日本に捨てられて、ひとりぼっちにされた、そのことに対してのお詫びが欲しいと訴える。
 統治時代に日本が台湾に住む人々に対してしてきたこと(差別など)ではなく、見捨てられたことを恨んでいる。そのことに私は驚いた。
 蕭錦文さんの求める「お詫び」というのは、決して金銭的な補償のことではない。蕭錦文さんの言葉から、(ありきたりだけど)子の親に対する感情に極めて近いものを感じた。親(日本)が我が子を真正面から見つめ、すまなかったという気持ちを表してくれるだけで、子はある種の苦悩から解放される。変な言い方ではあるが、自分の方を向いて、自分に関心を持って欲しいのである。
 しかし日本は台湾から目を背け続けているのが現状だ。

 彼らは日本を憎んではいない。
 小学校の同期会では、みな日本語で楽しそうに会話し、日本語の校歌を合唱する。
 ある人には忘れられない日本人の恩師がいる。毎年恩師の墓参りのために来日する。
 孫が日本語を学んでいるので、日本語で会話する相手が出来て嬉しいと喜ぶ。「毎日使っていないと忘れるよ」と孫にアドバイスすることも忘れない。
 ある人は「桃太郎」の歌詞に“日本人の正義感”という独自の解釈を加える。
 蕭錦文さんも、総統府で教育勅語を暗誦してみせてくれた。
 そもそも、このような映画製作に協力を惜しまず、包み隠さず証言してくれていることこそがその証ではないかと思う。
 懐かしさ、愛しさ、忸怩たる想い、悔しさ…複雑に入り交じった感情を抱え、彼らは生きている。ある登場人物は「これは永遠に解けないパズルだ」と言う。それでも私は彼らの「日本への愛」を感じる。
 とはいえ、この映画に出てくるのは皆比較的裕福な暮らしをしている方々ばかりだ。今の生活が満ち足りているからこそ懐かしく思い出せることもあるだろう。
 彼らの言葉が台湾に住むすべての老人達の気持ちを代弁しているわけではないことを心に留めておかなくてはならない。

 (何だかとりとめのない文章になってしまった…)

 余談になるが、webからの拾い読み(引用元が探せなくなってしまいました。心当たりのある方は、もし問題ありましたらご一報下さい)。
 登場人物の中に、末期ガンの方がいらっしゃった。この方は撮影後亡くなられたのだが、最期の言葉(遺言)が日本語だったため、親族の誰も理解できなかったそうだ。

|

2009年9月19日 (土)

気になる話

 ヴィヨンの妻の試写会当日、私の席の近くから聞こえてきた映画関係者と思われる人たちの会話。私が公開を楽しみにしている映画について話していた。

 “なんであんな大金かけてあんな映画を作ったのかわからない。鈴木○香は良かったが、あとは観る価値ないよ。○○役の三浦△△が意外と良かったと言われていたけど、ぜーんぜんダメ。結局何が悪いって、ありゃ監督が悪いね。観る価値はないけど、J○Lの事故が題材だから、そういう意味では観ておいた方が良いよ。”

 なーんかちょっとがっかり。まあ自分の目で観てみないとわからないけど。

|

2009年9月17日 (木)

「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」

 試写会に当たったので観に行った。監督と主演俳優の舞台挨拶付き。
 現在の勤務は17時までなので、まっすぐ行けば開場時刻に充分間に合うのだが、途中どこかでご飯食べて行こうかどうしようか迷い、新宿近辺をうろうろしていたら出遅れてしまった。着いたらすでに長蛇の列で、前方の席を確保することが出来なかった。失敗。
 というわけで会場は超満員。「Guest」の札を付けた人たちが座れずに通路に固まって立っていた。

 主演は松たか子と浅野忠信。両人和装であることはわかったが…。松たか子を見ることが試写会の目的の1つだったのに、この距離では本当に豆粒程度。森光子と並んだら判別出来るが、吉永小百合と並んだらわからないというレベル。かなりダメだ。浅野忠信に至っては落ち武者と区別がつかない。有馬藤太役の古田新太だと言われても疑問に思わなかっただろう(ちょっと失礼か)。いや実際には背が高く顔がすごく小さいので、かっこいい流れ者の武士という風情だったのだが。

 肝心の本編は。
 まあ、酷すぎて落胆するということはなかった。「ヴィヨンの妻」のストーリーと太宰の心中話などを上手く絡ませていたとは思う。
 松たか子は容貌そのものが“さっちゃん”風なので、演技どうこうよりも雰囲気だけで適役かも(決して演技がまずかったわけではないが)。
 小説「ヴィヨンの妻」のラスト近くの衝撃的な事実をあのようなエピソードにしたのもストーリー的には良かったと思うが、しかし堤真一はちょっと…という印象。存在自体が何とも説明できない違和感。もうちょっと顔の知られていない俳優にやってもらいたかったような気がする。私が堤真一の演技をあまり好きではないということにも関係するのだろうが。
 浅野忠信は、最初「太宰にしては眼力がなさ過ぎ」と思っていたのだが、不思議なことに物語が進んでいくうちにだんだん大谷(太宰)に見えてきた。これには私自身びっくり。今後太宰を演じるのは浅野忠信しかいないだろうとまで思った。昔「ピカレスク」映画化で河村○一が太宰役と知り、「どう考えても違うだろうが!」と激怒し、でもじゃあ誰なら太宰にふさわしいか?と考えたことがあるが、その時には確か答えが出ず、当時の上司が「役所広司は?」と言い、とりあえず許容範囲だなと思った記憶がある。あれから10年近く経過し、浅野忠信がちょうどそこにスポッとはまった感。髪型を似せていたせいもあるが、上背があり細面の浅野忠信の容貌が本当に一瞬太宰に見えることもあり、ドキッとした。
 個人的には椿屋主人の伊武雅刀も良かった。

 何よりも、この映画に関しては、太宰作品の喜劇としての側面を上手く引き出していたことを一番評価したい(と偉そうに言ってみる)。
 「僕は死にたくて仕様が無いんです」というセリフですらどこか笑えてくる、そういうコメディアン的太宰治像を映画の中で作り上げたのはお見事。これは監督の力だろう。監督は太宰の作品をかなり読み込んでいるであろうことが窺われた。
 
 全体的には完成度の高い映画だと思う。
 最優秀監督賞ねえ…うーん、確かに作品賞でもなく主演男優・女優賞でもなく、監督賞だ。脚本賞でも映像賞でも良かったと思うけど(あるのかな、そういう部門)。

 まだ公開前なので、この辺で。

|

太宰ネタもう1つ

Dazaikentei  今年は太宰治生誕100年ということで、ゆかりの地で様々な催し物が企画されているのだが、その中の1つ。(なぜか写真が歪んでいる…)

 6月に受験した、太宰治検定。
 主に小説「津軽」からの出題。本試験前に模擬試験なるものを実施&webに公開し、実際の試験でもその模試から出題されたものが少なくなかった。記念すべき第1回なので大サービスというところだろう。平均点は約91点、合格率は95%近くまで達したらしい。
 100点満点が9人おり、満点獲得者には「斜陽館」の年間無料パスポートがプレゼントされたそうだ。

 私はその9人に入れなかった。くそー! すげー悔しい。
 (しかし斜陽館は辿り着くまでが大変なのだよ〜)

 この太宰治検定、来年も6月19日(太宰の命日)に実施される。三鷹会場開催が決定したらまた受けるかもしれない。

|

2009年9月10日 (木)

私的キャスト

 「沈まぬ太陽」が来月公開になる。とても楽しみなのだけど、あの長い長い物語の“どこからどこまで”を映像化するのかちょっと気になる。予告編を見た限りでは“すべて”のようなので、途中どこかを端折るのだろうが、小説のストーリーを追うだけの作品にはならないで欲しい。

 気になると言えばキャスト。
 主役はまあ、納得。佐藤浩市も役所広司も真田広之も恩地のイメージとは違うので、渡辺謙しかいないだろう(日本映画の主役を張れるのはこの4人しかいないのか)。
 しかし国見会長は児玉清にやってもらいたかった。石坂浩二って、私には悪人顔にしか見えない。
 一番意外性のあるキャスティングはもちろん三浦友和の行天四郎だろうが、ミスキャストというわけではないと思う。でも何となくしっくり来ない。じゃあ誰だったらしっくり来るか?といっても思い浮かばないんだ、これが。
 無理矢理ひねり出したイメージとしては芥川龍之介なのだが。実在の俳優じゃないとダメだな。
 映画公開日までもう少し考えてみよう。

|

2009年9月 5日 (土)

武士道精神

 いやー李登輝さんはお元気だ。
 それだけでいい。ような気がする。

 日比谷公園といえばあんまり良いイメージがなかったのだが、素敵なレストランはあるし、野外音楽堂もあるし、きちんと整備されているし、案外悪くない。 
 誰だ「夜の日比谷公園」を私に印象づけたのは。

|

2009年8月29日 (土)

忘れてた!

 そういえば20階の展望レストランでカレーライスを食べるのを失念しておりました。(←ここで働いている時に密かに流行っていた言葉。「わたくし失念しておりました」)

|

2009年8月28日 (金)

さよ〜なら〜

20090828 おしごと最終日。
 勤務期間中には、作業がのろい人に苛立ったり、指示する職員の態度に腹を立てたりしたことも少なからずあったが、だんだん親しくなってくるにつれ見方も変わり、最後の方には私にしては珍しく「まあいいや、こういう人なんだもの」と受け流せるようになってきた。

 何よりも霞ヶ関で働くなんて、滅多にない機会。なんつーか、良い体験をさせてもらったという感じだ。
 トータルで見ると、働きやすい職場だったと思う。室温28℃設定は勘弁して欲しいが。

 この部署では毎年同じ作業があるので、来年また声をかけると職員さんに言われたけど…社交辞令かもなあ。それでも声かけられたら受けようかな…とちょっと思っている。

 最終日は、どこにランチ食べに行こうか迷ったが、例によって20階にある展望レストランへ。今日の定食はサーモンフライ。嫌がらせのように熱々だった。初めてここのメニューを美味しいと思った。

|

«Suicaロッカー